プロフィール
ジョルジア・フマンティ
歌声の純粋さと優美さにかけて彼女に敵うものはそういないが、ジョルジア フマンティは相変わらず驚くほど謙虚なヴォーカリストのままだ。イタリア生まれのこの魅惑的なソプラノ歌手は、そのライヴ・パフォーマンスと2004年発売のデビューCDにより、ヨーロッパ、アジア、北アメリカ全域に渡って既にファンを獲得。それでもなお、自分の才能はただ天から贈られたものだと主張し、機会あるごとにその贈り物を分け与えようとする。ジョルジアはAngel Recordsからの次回作From My Heartで、またもその機会を得ることになるだろう。
クレイグ・レオンのプロデュースにより、ロンドンのAbbey Road StudiosとオランダのWisseloord StudiosでレコーディングされたFrom My Heartは、ジョルジアを必ずや世界へと羽ばたかせてくれる。これまでポップスとクラシックの境界を器用に渡り歩いてきた彼女は、エンヤやアンドレア・ボチェッリといったアーティスト達と比較されがちである。しかし、ジョルジア フマンティは初めから、自分の音楽に独特の個性をもたせようとしてきた。
そのために彼女は、スティングからイタリア映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネに至るまで、様々な作曲家の作品を好む。特に、ポップスと伝統的クラシックの両方に触発されたモリコーネの音楽を愛してやまないのだ。「歌において最も重要なのは、私が感動できるかどうか」と彼女。「エンニオ・モリコーネの音楽はまさに打ってつけなの」。
事実その言葉通り、彼女は新作において“ミッション”、“ニュー・シネマ・パラダイス”、“ウエスタン”のテーマを含む、モリコーネのクラシック作品を4曲もレコーディングした。ジョルジアはまた、スティングの“Fields of Gold”の歌詞を自分で翻訳し、アコースティック風味が魅力的な“Campi d’Oro”へと昇華。スティングに加えて彼女がヒーローとして崇めるバーブラ・ストライサンドの“I’ve Dreamed of You”でも、彼女なりの解釈を聞かせてくれる。
ジョルジアは“Aria”(サンサーンスの“白鳥”をベースとしている)のような楽曲では、クラシカル・トレーニングの成果を存分に発揮する。一方、バックにコーラス隊を配した“エスピリトゥ”や、ジョルジア自身がイタリア語の歌詞をつけたもう一つの楽曲“Volero”も、楽しそうに歌っている。
アンドレア・ボチェッリといったアーティスト達が世界的人気を博してはいるものの、ポップスとクラシックのクロスオーバージャンルで成功するのは容易なことではなく、ジョルジアにもそれはわかっている。だからこそ、プロデューサーのクレイグ・レオンとのつながりが大切なのだ。「すごく壮大な曲もあれば、とてもシンプルな曲もある」と彼女は語る。「フルオーケストラで演奏してほしい曲もあれば、私の声とピアノかギターだけでシンプルに歌いたい曲もある。クレイグのすごいところは、数年前にこのアルバムのコンセプトが私の頭に浮かんだとき思い描いていたことを、きちんと理解してくれたこと」。レオン曰く「ジョルジアとの仕事は素晴らしい経験だった。プロジェクトのために自分で選んだ素材について説明する、若いアーティストの新鮮なアイデアを聞けるのが嬉しくてね」。
カジュアルな会話の中で、ジョルジアはしばしば夢について口にする。恐らく、彼女が音楽を通じて伝えたい想いのメタファーなのだろう。彼女の生涯の目的を反映しているに違いない。「この声を通じて、その人にとって何か救いになるものを受けとってくれたらと思う」と彼女、「少なくとも私にとって、感情はすべて大切なものだから」。
ジョルジア フマンティが育ったのは、イタリア史の岐路に立つ、トスカーナ州北部の町アウッラ。この地域にある有名な城Fortezza della Brunella目当ての観光客がただ素通りしてゆくものの、ジョルジアにとって、アウッラは小さいながらも大きな野望を育んだ町だった。彼女の両親は、ジョルジアが弁護士になるか家業を継いでくれることを期待していた。だが、そうはいかなかった。子供の頃、祖母が子守歌をうたってくれた時、音楽がジョルジアのハートを貫いたのだ。
しかし、10代の中頃に教会の聖歌隊に誘われるまで、彼女はまさか自分が歌うようになるとは思ってもみなかった。「10代の頃は恥ずかしがり屋で」と彼女、「でも聖歌隊に入った初日、口を開いてみたら、まったく無意識のうちにこのソプラノ・ヴォイスが飛び出して。みんな面食らっていたわ。3ヵ月もしないうちに、私はクリスマス・コンサートのソリストになっていたの」。
両親を喜ばせるため、ジョルジアはロースクールを受験、あと2つ試験をクリアすれば法律学位を取得できるところだった。彼女はまた、自分の故郷で障害をもつ子供たちと働くことに多くの時間を捧げた。同じ頃、彼女は自分の内面を見つめるようになり、ヨガや瞑想にも取り組んだ。「おかげで自分の心や魂に耳を傾けることができた」と彼女、「そして真剣に音楽に取り組むようになったのよ」。
目的に向けて、彼女は名門イタリア国立パルマ音楽院に入学、クラシックの厳しいトレーニングから得たものは大きかった。それでもなお、彼女は自分にオペラは合わないと感じていた。「初めて自分の生き方を自分で決めた」と彼女、「イタリアではクラシックを研究するしかなかったから、私はテクニックを学び、自分に必要なものを身につけたの」。
2002年、アーティスト・マネージャーのモーリス・ヴェレノージに出会うと、彼はすぐさまジョルジアの素質を見抜いた。是非彼女を連れていきたいとオファーされたが、問題がひとつ。ヴェレノージの本拠地モントリオールに移り住まなねばならなかったのだ。家族と離れ離れになるのは辛かったが、ジョルジアはすべてを賭け、カナダへと向かった。「素晴らしかったわ」と彼女、「音楽のことだけを考えていればよかったんだもの」。
2004年、デビューCD Like a Dreamをインディペンデントでレコーディング、ヴァンゲリスの音楽をジョルジアなりに解釈したアルバムだった。これをきっかけに、ワールドミュージックへと活動の場を広げ、加えて世界規模のツアーも実施、彼女は広く称賛を得るようになった。1年もしないうちにメジャーレーベルから誘いが来るようになり、最終的にAngel Recordsと契約が交わされた。
そこから、ジョルジアは念入りに曲選びを開始、 From My HeartのレコーディングではNetherlands Media OrchestraやEnglish Chamber Choirといったアンサンブルとも共演。CDのリリースに続くワールドツアーも既に計画済みで、自分の音楽ができるだけ多くの人たちの心に届くよう彼女は願っている。
音楽と同じように、人助けがしたいというジョルジアの長年の情熱は決して衰えることなかった。現在、彼女はケベック脳性麻痺協会(L’Association de paralysie cérébrale du Québec)の世界大使として、コンサートをおこない、メンバーに会い、この病気への認識を高めようと頑張っている。
しかし、チャレンジ精神旺盛な歌手にとって、中心はあくまでも音楽である。「子供の頃」と彼女は言う、「大きくなったら何になりたいと訊かれて。私は伝道師になりたいって言ってた。今の私の夢は音楽の伝道師となって、音楽が感じさせてくれるあらゆる感情をみんなと分かち合うことなの」。
そう遠くないうちに、その夢はきっと叶うだろう。
ジョルジア・フマンティ From My Heart US Release Date: January 9, 2007 Manhattan Records #32175
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